| ★クレット島★陶芸暮らし★ | ||
![]() 船着場から見たクレット島の風景 素朴な質の土にあこがれて(というよりちょっと東京生活を離れたくて、が本音?)、タイのバンコク郊外のクレット島で2ヶ月ほど陶芸生活をしました。 発端は、今から10年前。入社したばかりの会社が倒産し、忙しく過ごしていた日々から一転、急に暇になったのでした。突然のことで何をしていいかもわからず、すぐに職探しする意欲もなく、暇を持て余すばかり。そんな時、友人からの「タイにでも行ってくれば」の軽い一言に後押しされ、ふとタイの素朴な土に触りたくなり、そのままバンコク行きの航空券を予約しに行ったのでした。 バンコクに到着すると、友人の親戚のお兄さんが迎えに来てくれました。しかもベンツ!でも待てよ。ずいぶんくたびれたベンツだわ?あれっ?助手席のドアが開かない!かぎがかかっているのかしら?「ねえ、お兄さん、ドアが開かないんですけど」するとお兄さんが足でバーンとドアを蹴飛ばし、ドアは無事に開いたのでした。日本では「腐っても鯛」ですが、タイでは「腐ってもベンツ」なのかしら!?ちなみに、このベンツの助手席側のドア、私がいくら蹴飛ばしても開かないのですが、お兄さんが蹴飛ばすと一回ですんなり開くのです。どうやら、ドアの蹴飛ばし方にもコツがあるようです。 さて、お兄さん家族のご自宅に1泊した後、2日目に別の親戚が、クレット島へ連れて行ってくれました。クレット島と言っても、海に浮かんでいる島ではありません。ドンムアン旧バンコク国際空港から車で約15分。茶色いチャオプラヤー川の中州にあるのがクレット島です。首都バンコクの隣のノンタブリ県に位置し、大阪の中ノ島のような感じですが、橋はなく、船でしか行き来できません。そうは言っても、島には寺院や小学校もあり、主にモン族が生活しています。モン族はタイの少数民族の1つで、タイに隣接するミャンマー、ラオス、ベトナムにも住んでいます。
仕方がないので、まず何を作ろうかと考えていたら、突然、おばあちゃん、バケツ一杯分くらいの巨大な粘土の塊を持ってきて、作業を始めるというしぐさ。「??」きょとんとしていると、いきなり菊練り(気泡を完全に出すために徹底して土を練る作業)をし始めたのです。同じようにやれというけど、私にはとうてい無理な大きさ。しかも、以前、仕事で傷めた手首は腱鞘炎でリハビリ中ということもあって、巨大粘土と格闘するなんて、本当に想定外!思い描いていた優雅な陶芸暮らしの夢はここで吹っ飛びました。改めて周りを見渡すと、巨大な水がめばかり。「え!!これを作るの?」 というわけで、私の造りたいものを制作するというのではなく、おばあちゃんの作業のお手伝いをする羽目になってしまったのでした。とりあえず、半分、好奇心でやってはみるものの、やはり脱落。悪戦苦闘していると、どこからか見物にきた子供達にも笑われる始末。結局、30センチくらいのふた付きの壷造りを手伝うことになりました。ろくろは電動でも足踏み式(これは面白かった)で、道具はあまり使わず、指を使って淵を作ったり、川で流れているような木の破片で、なめしたり…。自己流でやろうとすると、「メイ・チャイ(ダメ!)」と手を叩かれる。やさしいおばあちゃんですが、なかなか頑固な職人さんです。しかし、今思うと、これはとてもいい経験になりました。物を創る楽しさがあったような気がします。 毎日、暑さと戦い、手首の痛みと戦い、お昼はいつもおばあちゃんと屋台でソバを食べました。会計は決まって私。たまに孫のお菓子まで買わされたりしたけど、何しろ突然来て言葉も通じない私のお世話をしてくださるおばあちゃん先生。感謝しないといけません。そして、夕方には市場でマンゴーやマンゴスチンを大量に買って、夕飯前に庭でサルのように無心となってもしゃもしゃ食べる日々。 チャオプラヤー川の対岸からながめるクレット島は、土砂崩れ止めのためなのでしょうか、周囲に壊れた素朴な粘土質の陶器が積み上げられていて、とても雰囲気があります。焼釜も昔ながらですばらしく、観光客も全く見かけず、(たまたまオフシーズン?それとも、私がこもっていたから?)とにかく居心地がよいのです。 実は、日本では仕事のストレス?で突然、13キロも体重が増え、なかなか戻らなくて半ば諦めていたのですが、クレット島に来てからはいつの間にか元に戻っていました。また、毎日、手首に負担がかかる菊練りをしているもかかわらず、気候のせいもあるのか、腱鞘炎も治ってしまいました。さらに、2ヶ月間、孫のために働くおばあちゃん先生やその周囲の人々、市場などで働く威勢のよい地元の人たちを見ているうちに、私も日本へ戻ったら職探ししようという気力が自然に湧いたのでした。2ヶ月間も費やして、取り立てて何をしたというわけでもなかったのですが、このクレット島での生活は私に活力を与えてくれました。 タイに行って2ヵ月後、いよいよ日本に帰国する前日に、久々に親戚のお兄さんに会いました。私が、毎日、朝から晩まで陶芸をしていたことに驚き、「もったいない」とあきれた顔をしていましたが、私にとっては念願通り。少し若かった頃の行き当たりばったりのアジア体験記といった感じですが、なぜかいつまでも記憶に残っています。 つい最近、おばあちゃん先生と素焼きだけして持ち帰ったふた付き壷を取り出して、桜色の釉薬をつけて焼いてみました。当時は好みでなかった壷もおばあちゃん先生との思い出がたくさん詰まっており、今、改めて見ると風情があって大切に使っています。 |